考えねばならない看取り方。理想と現実。 - さっさんのふんばる子育て記

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闘病記

考えねばならない看取り方。理想と現実。

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投稿日:

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2017年9月27日。

K病院入院2日目。

 

古巣の病院に帰ってきて。

私達は、
ひとつの大きな闘いを終えた気分でした。

 

A病院で過ごした8日間。

この8日間の生活は、
サスペンスかミステリーか、
はたまたホラーか。

決して大袈裟な表現ではなく、

自分で書いたこの8日間の記録を読み返しても、果たして現実の世界で本当に起きた事なのか?

信じられない出来事の連続でした。

 

最終日。
繰り返す激しい吐血。

本当は退院後には我が家に帰れるはずでしたが、それは叶わず。

A病院から主治医のいるK病院に転院。

 

でも我が家と同じ街にあるK病院は、我が家に負けない安心感がありました。

 

我が家に帰ってきたも同然。

私は心から安堵しました。

 

一方妻は。。

「お腹空いた!こんなんじゃA病院の方がいい!もう嫌だ!」

絶飲食を指示され、
本気で泣いていました。。

お腹が空いたなんて、A病院で受けてきた数々の屈辱や苦痛に比べたら可愛い物だと思いましたが。。

食いしん坊の妻からすると切実な問題なのは理解出来ました。

 

吐血の原因は食道の血管からの出血。

肝臓内の門脈の閉塞により、食道の血管が膨張し傷付きやすくなっている事から、食事が食道を通るとまた出血を起こすかもしれない。

本来はしばらくの絶飲食が必要でした。

 

私は主治医に相談しました。

 

主治医は医者にしては珍しく、患者の主張に対して「NG」という判断をあまりしない人でした。

患者が望むこと。
患者に寄り添うこと。

それを第一に考える。

主治医本人も一番大切にしている事だと言っていました。

 

主治医は妻の様子を見て。

飲食を許可しました。

 

おそらく一般的にはタブー。

主治医のポリシーもあるのでしょうが。

妻の余命がいくばくも無いことを分かっていた上で、総合的に判断をしたのだと思います。

 

この日は息子が朝から高熱を出し、私は息子を急遽病院に連れて行かねばならなくなったため、

お義父さんにお願いして、コンビニでおにぎりを買って妻に差し入れをして欲しいと頼みました。

 

息子を病院に連れて行っている時、おにぎりを食べる事が出来て嬉しいと、報告のLINEが妻から入ってきました。

 

どんな顔をして食べたのかな。。
もしかしたら嬉しくて泣いたかもしれない。

妻の喜びの表情を見る事が出来なかったのは残念でしたが、おにぎりを食べた後も吐血する事なく、穏やかに過ごせていてホッとしました。

 

昼過ぎには妻の元へ行く事が出来ました。

妻は顔色も良く、ご飯も食べる事が出来て表情は穏やかでした。

早く退院したい。

明日のヘモグロビンの状態次第で、退院の判断をすると主治医が言っていました。

 

しばらく妻に会えていない娘。
家でも寂しがっていたから。

私は妻と写真を撮りました。

 

「ママげんきだよ。」
これは私と妻の最後のツーショット写真。。

 

あなたが帰ったら娘に見せてと。
妻が写真にデコレーションしてくれました。

 

妻も早く娘に会いたがっていました。

 

少し前に主治医が病室に来たとき。

「今後の事はどうされますか?もしもの事を考えて、早めに在宅用の用意をされた方がいいですよ。」

 

主治医にこう言われたとき。
ハッと目が覚めました。

 

妻がいま元気なのは。

稀有なこと。

 

明日にはどうなっているか分からない。
こんな写真を撮れるのはもう最後かもしれない。

現実を思い出しました。

 

そして。
考えねばならない看取り方。

私達は少しずつそんな事も話し始めていました。

 

最期は自宅がいい。
家族に囲まれて、住み慣れた自宅で最期を迎えたい。

小林麻央さんの影響も受けていました。

自宅での穏やかな最期。

 

でも私も妻も。
それが難しい事だと勘付いていました。

 

医療上の問題ではありません。
K病院には在宅介護施設が併設されており、訪問看護や医療用ベッドなどのレンタルも可能でした。

 

残念ながらこちら側の問題。

妻は子供の甲高い声が苦手な人でした。

性格的にも生真面目でピリピリしやすく、視界に入る子供の行動や態度が気になってしょうがない。

 

調子がいい時は良いのですが。
調子が悪い時は精神的に不安定になる。

娘と一緒に居たいけど。
娘は甘えたい盛りの4歳児。

1歳の息子はただただ自由。
大声を発し、動き回る。

 

本来愛おしくて仕方がないはずの子供達の存在は、このような状況下になると強いストレスを与える存在になる。。

 

声が届かないような奥の部屋に居てもらっても良いのですが、それだと在宅ケアの意味があまり無い。

 

理想と現実の違いを痛感していました。

 

在宅で最期を迎えるのは難しい。
私達二人の共通認識でした。

 

後は緩和ケア病棟。

それしかないと考えた私は。
本格的に妻を看取る場所を探し始めました。

 

悲しい作業。

全力で妻の最期に相応しい場所を探すけど。

常に求め続けた生きる希望を、
全く含んでいないこの作業は辛い。

 

そして。
この作業は報われる事なく。

妻の命と共に、
中断する形になります。

 

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